揺れない心 ~Serene Hearts~
『揺れない心』を持つ人間になりたい。 2005年に急性骨髄性白血病を発病、骨髄移植の後に社会復帰を目指すも、敢え無く2007年初に再発、再移植。GVHDと格闘の日々を綴ります。
★。:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜Thanks 200,000 HIT (16th Aug. 2007)★。:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜
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当Blogは白血病・骨髄移植・骨髄バンクに関する正しい知識を皆で共有する為に開設したものです。
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2006年8月7日/管理人

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2007年3月5日/管理人

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2008年3月6日/管理人
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【BRAVE STORY】吉井怜編(3/4回)
第3回/白血病との闘い~後編~

ちょっと間が空いてしまってすみません。連載第3回目です。
過去の2回を読んでない人は先にお読み下さい。
第1回/吉井怜さんをご存知ですか?
第2回/白血病との闘い~前編~

第2回までで、告知から寛解導入後の一時退院(2000年12月)までを紹介しました。
今回は一時退院後の生活から骨髄移植を経て芸能界に復帰するまで、
2000年12月から2002年8月までを紹介させて頂きます。

奇跡的に母親とHLA型がフルマッチしたにも関わらず、
芸能界への復帰を優先するが故に移植を拒否した彼女。
揺れ惑う思いを抱えながら半年に亘り3クールの維持療法を続けるも、
母親の記したノートをきっかけに、遂に骨髄移植を決意する。
前処置の壮絶な副作用との闘い、移植後の日々で思うこと。
何かが彼女の中で大きく変わっていく様を、どうぞご覧下さい。

尚、本文中で斜字表記されている箇所は前回同様、
彼女の手記『神様、何するの・・・』からの抜粋です。
様々な局面における彼女の心情描写が表現された箇所と思い、
独断と偏見で引用させて頂いております。



12月27日(水)
退院後1週間経過、初めての外来診察による経過観察。
主治医より、移植を受けるか悩んでいるのであれば・・・と
B病院の移植専門医との面談を薦められる。
(当時通院していた病院では移植は実施していなかった)



<1度目の維持療法入院>



<2度目の維持療法入院>



2001年4月2日(月)
主治医に紹介されたB病院の移植専門医と面談。
淡々と移植の成功率、完治する確率を数字で説明される。
今の寛解状態で移植をすれば60~70%の確率で完治、
但し再発後の移植では10~15%まで低下。
また現状の維持療法を継続した場合の完治率は僅か30%とのことであった。

その後に前処置・骨髄移植の具体的な手法について、
また移植後にはGVHD(拒絶反応)や、不妊といった問題・障害が残ることの説明あり。

医師からストレートに言われたことがショックで黙り込んでしまう。

いつかは心の底から愛せる人と出会って、子供を産み、
どんなに子育てで大変なことがあっても、
好きな人と一緒に乗り越えてけるような母に、自分はなれると信じていた。
それなのに、「不妊になります」
この、たった一言だけで、私の将来を打ち砕いてしまうなんて、いくらなんでもひどすぎる。




<3度目の維持療法入院(4月中旬~)>
移植をするかしないか、気持ちは固まらないままに3クール目の維持療法に突入。
周囲の意見は揃って「移植すべき」であったが、最終的に決めるのは本人であり、
具体的な数字をB病院の専門医に並べられてからは日々迷走が続いていた。

どうすればいいの?どうして私の型は、化学療法でも完治する確立が30%あるの!
それなのにみんなは移植手術しかすすめない。どうして?
移植手術でしか治らないのだったら、今すぐ踏みきれるのに。
どうやって自分で決めればいいんだよーーー!


GVHDの発症によって芸能界復帰が不可能となる可能性。
移植をしなかった場合は確実に仕事には復帰できるが、その後万が一再発した際は・・・。
本当は移植を選んだ方がいいのは自分でも理解していながら、
GVHDや不妊がその後の自分の人生に及ぼす影響を考えれば考えるほど揺れていた。

そういった状況の中で、同じ病気で闘うOさんが同じく維持療法のため入院してきた。
自分の悩みをOさんに打ち明けたところ、自分が心から信頼できる先生と出会えるまで
探したほうがいいと言われる。
この時、彼女の中で気持ちが移植へと大きく傾いた。
そして再度主治医の紹介により、1ヶ月後に横浜のがんセンターの先生とアポを取る。



2001年5月下旬
横浜のがんセンターへ。
前回のB病院とは異なり、非常に丁寧な対応・説明を受ける。
移植をする方向で自分の中でも決意が固まりかけていたのだが、
ここでは再発後に移植をしても完治の確率はあまり変わらないとの説明。
やはり未知の領域であり、医師によっても見解は異なるのだが・・・
移植の決意がここで再度揺らぐことになってしまう。
移植をせずに維持療法を継続することで
白血病と闘っていくことを、改めて考え直す結果となった。

諦めきれない未来の子供との出会い。
B病院ではアッサリと「不妊になります」の一言で切り捨てられたが、
ここでは不妊の事実を苦しそうな表情で伝えてくれた。
それが逆に不妊という意味の重さを改めて実感させてしまう結果となる。

今すぐじゃなくたって、将来、子供を産むか産まないかは別としたって、
私は、子供が産めなくなることが、本当は怖くて、寂しくて、辛かったんだ・・・。




その後は吹っ切れた気持ちで日常生活に戻った彼女であったが、
やはり冷静に自分の状況を考える余裕が生まれてくると
自分の決断が本当に正しいのかどうかわからなくなってくる。

もしも再発したらどうなるのかな?
そのとき、おかあさんの体調が悪かったら、骨髄移植はできないかもしれない・・・。

最終維持療法の寸前で再発してしまったら・・・私は後悔しないのかな?
私の体には爆弾があるんだよ。いつ壊れるかなんて、誰にもわからないんだよ。

もしかして、骨髄のタイプがおかあさんと一致したのは、
神様が私の「生きる道」をもう一度作ってくれたのかもしれない。
それなのに、移植手術をやらなくて、本当にいいの?




ある日、母親が過労で突然倒れ入院することとなった。
彼女が発病してから1年間、毎日2時間かけて病院へ通い、
家事をこなしながらも彼女のことを思い続け・・・体力の限界だったのだろう。
その時彼女は兄から、母親が大事に書いていたという日記を渡された。
以下はその一部の抜粋である。

『・・・怜が突然ロケ先で倒れたと聞く。本当に心臓が止まるかと思った・・・』

『白血病・・・!?どうしてあの子が・・・!?』

『変われるものなら変わってやりたい 私の命で助かるのなら・・・』

『私の命を持っていってください・・・』


ここで彼女の中で再び大きな心境の変化が生じる。

私はそれまで・・・“自分の命”というモノしか考えていなかった。
だけどそんな自分の命が実は親からもらったモノで、
そしてそれをまた誰かに渡してゆく。
そんな・・・大きな“命”をその時初めて感じた・・・。


以下は入院中の母親の病室での2人の会話の抜粋。


怜:「移植を受けたら・・・私・・・子ども産めなくなっちゃうよ・・・
      お母さんも・・・孫を見れなくなっちゃう・・・
      お母さん・・・それでもいい・・・?」

母:「当たり前じゃない・・・お母さんは怜がいてくれればそれでいいの。
      それにね、たとえ子どもが産めなくなっても・・・怜は怜でしょ・・・?
      怜にしか残せない何かを残していけるんじゃないかな・・・?」

怜:「お母さん・・・私・・・お母さんの骨髄・・・もらっていいかな?
      もう一度お母さんから・・・命をもらってもいいかな・・・?」

母:「仕方ないわね・・・私の娘だもんね・・・」



彼女の中の決意が固まった瞬間である。



6月20日
移植のため横浜がんセンターに入院する。投薬治療の開始。



2001年7月2日(月)
前処置開始。3度目のCV(カテーテル)を鎖骨下から挿入。
この日から愈々移植に向けて様々な検査が開始された。

予想以上の副作用に苦しむ。24時間気持ち悪さは消えず、
少しでも飲み物をとると1時間もしないうちに全部吐いてしまう。
動くと吐き気が襲ってくるからなるべく横になるが、
寝返りをうつだけで気分が悪くなり、また吐いてしまう。

自分はとてつもない病気と闘っているんだ、と改めて思った。



7月9日(月)
放射線治療の開始。
抗癌剤、放射線治療の影響で肌の色素沈着が進行。
感染症を防ぐ為にも毎日シャワーを浴びる必要があるのだが、
シャワー室内の鏡に映った変わり果てた自分の顔を見て・・・

あはは、ブサイク~。ひどい顔・・・ひ・ど・い・カ・オ!
アンパンマンが焦げちゃったみたいだよ~。ジャムおじさ~ん、新しい顔がほしいよぉ。
アンパンマンみたいに、こんな壊れた顔をあっという間に交換できたらいいのに・・・。


なんて笑いながらも、涙がこぼれてきた。

とにかく今を乗り切ろう、この一分一秒を乗り切っていけば、
いつかは元気になることができる・・・そう自分を奮い立たせた。

悪い方向に考え無いこと。考えなきゃ、副作用だってひどくは出ない。
これから出る副作用なんて、出たときに考えればいいんだし、きっと大丈夫!
要は気持ちの持ちようだ!と、自分に何度も言い聞かせながら、副作用に耐え続けたのだ。




7月10日(火)
翌日の骨髄採取の為、母親も同じ病院に入院する。
副作用で朦朧とした意識の中で、病室まで来てくれた家族の姿もかすんでよく見えない。
その内眠りについてしまい、気がつくと既に部屋には誰もいなかった。
すると枕元に3枚のメモ用紙があるのに気付く。家族3人からの手紙だった。

『<怜が見たら情報!>7月9日 暑い!今日はよく頑張ったね。あと1日と半分。
早くかあさんからチカラをもらえたらいいね!!とうさん』

『明日から一つ屋根の下。よろしくね!放射線治療もあと少しだよ 母』

『<兄情報!>D503iの赤を買ってしまった。かっこイーーー!!
レアなので大切に保管するぞ。プレミアもんです。
まぁ、退院するころにはさわらしてあげましょーーー。わっはっはっはっ。がんばってな~』


不安な気持ちを吹き飛ばそうと、三人からの手紙を何度も読み返した。

そして、その日の日記にはいつもより長めの日記が書かれている。
既に放射線治療を受けた為、不妊となってしまっていながらも、
やはり生まれてくるはずであった自分の子供のことを考えていた。



<まだ出会っていない、未来の赤ちゃんへ>

お腹に宿すことも、出来なくてゴメンネ。
いろんな空の色や 周りの景色を見せることができなくて、ゴメンネ。
生まれてくるとしたら 何人きょうだいだったのかな?
男の子? 女の子?

子どもで、自分勝手なママでゴメンネ。
ママは、自分が生きる道を選んだよ。 だけど、これからも、一緒に生きていくんだよ。
あした、私は、母から二度目の命を授かります。
その命には、母と私と、そして あなたの命が含まれている気がするんだ。
私は、一人じゃないんだね。
母とあなたから命をもらったんだから、こんなに強い力はないよね。

こんな私を、助けてくれてありがとう。
もしも、この先、逃げ出したくなっても、辛いことがあっても、負けないから。

私の体の中で、私の心の中で、
あなたは永遠に生きているから。
一緒に生きているから。
だから、力をください。 弱い私に、あなたの力をください。
これから、待っている どんな副作用にも負けないから。
頑張ってくるから。乗り越えるから。
愛してるよ・・・・・・ ずっと、ずっと愛してる。
ありがとう。




7月11日(水)【移植日当日】
午前中に最後の放射線治療を終わらせ、無菌室へ移動する。
その間、母親は別室で骨髄採取中。

一旦入室してしまうと簡単には外に出ることのできない無菌室。
個室の特権とも言うべき専用電話が用意されているが、誰かと話す気力も起きない。

電話機さん。なんだったら、一緒に寝ますか?

移植直前、昨年入院していた病院の主治医が急遽様子を見に病室へ登場。
ずっと初期からお世話になっていた主治医だっただけに、
嬉しさのあまり、直前にも関わらずはしゃいでしまう。

先生が来てくれなかったり、一人でほうっておかれたりしたら、
考えなくていいことまで考えてしまって、
手術への不安で体がガタガタ震えていたかもしれない


そしていよいよ午後5時、骨髄移植開始。

骨髄液が私の腕に少しずつ注入されているのを見ながら、
別の病室で休んでいる母を思い浮かべた。どんなときも付き添ってくれていた母。
自宅から病院まで往復で二時間もかかるのに、一日も休まず付き添ってくれていた母。
気持ちが荒れまくって、勝手なことばかり言っていた私をいつも温かく包んでくれた母。
その母の骨髄が自分の中に入ると思うと、体の中から母が守ってくれているような気がした。


50分間で無事骨髄移植終了。

そのとき、初めてぐっと胸に込み上げてくる何かを感じた。
一緒に生きていこうと決めた、未来の赤ちゃんが命を授かった瞬間・・・そんな気がした。




7月23日(月)/Day12
移植後11日間の記憶が完全に抜け落ちる。
移植後には治まると思っていた吐き気もひどくなるばかり。
水を飲んでもすぐに吐き出してしまうため、水も薬も怖くなってくる。
胃の中が空になって何も出てこないのに吐き続け、息ができない程の苦しみ。
吐きすぎて食道が切れてしまい、血が混ざる。
それでも治まらず、そのうち赤黒い血だけを吐くようになっていた。

移植前は食べ物を見ると気持ち悪くなっていたが、移植後は匂いだけで吐き気が襲ってくる。

吐き気も辛かったが、体力が落ちると気力も落ちる。
気力がなくなると白血病に負けてしまうようで怖かった。
だから、一つでも良くなっている部分を探し続けていた。


前処置の抗癌剤治療の副作用から、髪の毛が抜けはじめる。
抜けるというよりは、シャワーの水と一緒に流れ落ちるといった感じ。
どうせ抜けるならと自分で抜いていくも、何故か耳の上の髪の毛だけは中々抜けず、
他の髪が全部抜けても何故か一部分だけ残っていた。

この残っている毛というのは、いとおしくなるもので、
髪の毛の薄い人が、無理やり一九分けにしている気持ちがよくわかった。
髪の毛が抜けている間は、病室のゴミ箱に山ほど髪の毛を捨てた。
さすがに、それを見るのは辛かった。




7月27日(金)/Day16
初めて味のあるものを口にする。りんごジュースを15cc。

こんなにおいしいの!?



8月中旬
友人の裏切りをきっかけに、すべての人間関係から解放されたいと思うようになる。

誰も信じられなくなっていたし、
また、病気になってみんなに迷惑をかけている自分も嫌になっていた。

誰にも邪魔されず、一人っきりになりたかった。

病院では毎日、先生や看護婦さんと必ず言葉を交わさなければならない。
常に、誰が来るか、いつ来るかという意識が消えなくて、気持ちが休まるときがなかった。

もう、我慢の限界にきていた。こうなると、自分の感情がコントロールできない。
早く、本当に一人だけになれる居場所を作って、壊れてしまった感情を調整したかった。




その後、予定より少々早く退院できたものの、制限だらけの日常生活に解放感を味わえない。

不自由になっても、それを我慢するのが家族の愛で、
協力し合うのは当たり前って言われたらそれまでなんだけど、
自分も家族に気を遣っているし、家族は私よりももっと気を遣ってくれている。
家族が気を遣ってくれればくれるほど、周囲をわずらわせているという事実を突きつけられた。

ホント、私って自分勝手だよね。

でも、急には大人になれなくて、嫌な性格だとわかっているけれど、直せない。
こんなに私のことを心配してくれているのに、
それを重荷に感じてしまう自分が許せなかった。
自分の家なのに、家族なのに、どうしてだろう。

特別扱いをされていることが、一秒も、病気を忘れさせてくれなかった。




退院してしばらくは定期的に通院・検査をすることが必要だった。
母親がドナーだったので移植の生着もスムーズで、GVHDも一般のケースより極端に少ない。
幸い彼女は外見上のGVHDは何も発症せず、ドライマウス程度で済んだ。

しかし一方で退院してからも人間関係の悩みは絶えず、息苦しさにつきまとわれていた。
そんな時、マネージャーが彼女を外に連れ出し、色々と話をする場を作ってくれる。
徐々に彼女の重い口も開いていき、人間関係に疲れたことを告白する。

その瞬間、彼女の中で溜まっていた心の澱が一気に噴出して息が続く限り喋り続けた。

思いっきり空気を吸い込んだら、心の中の葛藤や悩みや、
自分にまとわりついていたさまざまなものが、すぅーっと消えていくような気がした。

白血病にかかって、命を落とす瀬戸際までいったけど、やっぱり私は生きている。
(生きてて良かった・・・)
初めて心からそう思うことができた。
そして、「生かされている」という自分に気づいたのだ。

愛されていない人はいない。
ただ、愛が当たり前になって、欲深くなって、
もっとたくさんの愛や、愛されたい人から愛されなかっただけで、孤独を感じてしまう。
だから、自分が生きている意味なんてないように思ってしまうのだ。
だけど、それは違う。
生かされているって、もっと、もっと大きな“何か”から守られているのだと思う。
私が白血病を乗り越えられたのは、その“何か”に選ばれ、守られ、生かされたからだ。

“何か”って神様なのだろうか。最初は捨てられたと思っていた神様に、
私はもう一度生きるチャンスを与えられたのだろうか。

本当のことは私にはわからないけれど、ようやく私は生きているって実感できた。
そしてこのときが私の本当の退院だったのだ。




そして2002年8月24日・・・最初の入院日から764日後・・・
彼女は奇跡的な復活を遂げ、芸能界へと復帰した・・・。




第4回/編集後記(管理人所見)へ続く



尚、本文中の表現は抜粋部(斜字)を除き
管理人の個人的な感想を主としております。
表記方法に問題がある場合は対応させて頂きますのでご一報下さい。



以上

ミンナでワッショイ!!
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